『 自由学園時代の同級生 』
野 中 博 史 の 超 現 実 的 な 音 楽 制 作 の 日 々
Facebookはじめました 宅録後朝方のつぶやき 野中博史の過去の作品
僕のリンク増やしたの分かるでしょ?
そお、上に3つにまとめたんだよね。
もし良かったらチェックしてみて下さい。
因にAlaskaのリンクはブログの最下段にあります。
そう言えば気付いてる人いるかな、
最近方々で"野中博史"と表記し始めているんだよね。
作家業のクレジットはやっぱ本名が良いかなと思い始めて来てね。
過去に僕と関わった事のある人達が、
「ああ野中博史頑張ってるねぇ!」
ってなるしねw
まーその前に早くデビューしろって話しなんだけどね。
それについては実はもう...まーまーもう少し待って。
で個人的なインディーズでのリリースの場合は、
オルタネイティヴならガッドマン、
かなりロックなサウンドならArilou Lalee'layでやると思う。
んで誰かのバックバンドメンバーの場合は野中博史で。
でも何だかんだでこれからは野中博史にまとまって行くのかな。
きっかけがあるんだよね、実は。
本名で活躍してる友達たちがいてね。
sei nakashima CGアートディレクター
(クリックで彼のHPへ)
何とハリウッド映画のCGやCMなどを幾多も手掛けている。
ちょっと前にテレ東で、
「世界で活躍している日本人」
という特番があってそこでも紹介されていた。
速攻でロサンゼルスにいる彼にメールしたよね。

そもそも聖のオヤジはプロの画家で、
分かり易い所でいうとあの「ぼおや〜よゐこだネンネしな」で知られる、
"日本むかし話"のオープニングのアニメーションを手掛けてた人。
フとした場所のそこら中で絵を見かける程の人物。
この前なんか僕がガンで入院した病院の入り口に飾ってあったよね。

(sei nakashimaのHP内の僕が気に入った作品その1)
返信の聖は突然の俺のメールにかなりテンションが上がった様子で
野中、こりゃ驚いた。すっごい嬉しいよ!懐かしいなあ、
不思議なもんで鮮やかな記憶がいっぺんに蘇ってきたよ。

(sei nakashimaのHP内の僕が気に入った作品その2)
僕の音源も聴いてくれた様で、
「 絶対行ける 」
聖に言われた一言、ホント嬉しかった

(sei nakashimaのHP内の僕が気に入った作品その3)
それにしても本当にスゲーと思う。
俺の周りって意外と成功してるヤツ多いんだけど、
ハリウッドて...スケールが良く分からないよもう
世界の広さを知らんのだから僕はw
この上のシロクマもアメリカのコカコーラのCMで起用されたと。
日本でも放映されてるよね?これ。
ブレたクリエイターはそこらに山ほどいるけど、
2世の七光りに甘えず、
10代で単身渡米した聖の生き方にブレは無い。
カッコいい、好きだ、侍かと思う。
マジで応援する。
ハリウッドから練馬帰ったら朝まで呑むか!
江古田辺りで黙も誘おう!
聖のサクセスストーリーで江古田の夜を明かそう!
っと今名前があがったその黙という人物、
次はそいつをここで紹介したい!
寺岡 黙 映像カメラマン / 映像ディレクター
(クリックで彼のBlogへ)
中学で僕は全寮制の学校、
自由学園という私立校に受験合格で入ったんだけど、
最初の一年は狭い部屋に中1の僕らが6人、
そして中3が一人(副室長)と高3が一人(室長)が、
涙あり笑いありの長く険しい1年間を過ごす事になるのだが、
その中1の6人の中にこの寺岡黙とさっきの聖がいたんだよね。

(セルビアのノビサド。ヨーロッパ最大のフェスティバルのひとつ" EXIT "にて)
みんな本当にまだ小学校を卒業したばかりのガギ。
俺の左側に聖、右側に黙が、布団を敷いて川の字に寝た。
TV、漫画、音楽...娯楽と言う娯楽は全て禁止された寮内、
外出は土曜の午後から日曜の夕方まで。
平日も自由時間は制限され、僅かな時間の中で
僕たちはひたすら絵を描いて遊んだよね。
しかし思えば来る日も来る日も何かしらで遊べてた。
大食堂の片隅にあるグランドピアノで遊んだり、
2階の談話室で卓球をしたり、
まるで大自然の様に広がる学園内の森を探検したり、
週末に一度しか出来ない外出でからまれたりw
時にはお母さんに涙の手紙を書いたり...ねっw
でも夜になると上級生からの"呼び出し"と言うのがあって、
全寮生徒が集まる夕食時にコワい先輩(高3)が報告台に立って
僕ら中1の名前を呼ぶんだよね。時間指定もされていた様な。
これは自由学園の東天寮に、
大昔から代々受け継がれて来たしきたり。
毎晩の様に中1の誰かが高3の誰かに呼び出される。
因に1学年1クラスで1年生が30人程しか居なかったから、
ナマイキな1年は凄く目立つんだ。
特に俺と黙はしょっちゅう呼び出されては、
腕立て100回とか腹筋100回とかスクワット300回とかのあげく、
竹のシナイで叩かれたりしてたよな。
もうほんっと毎日が地獄で毎日怯えてたよ俺は。
しかし黙だけは違ったんだよね。
そんな毎日の中でも楽しかったと言うんだよね。
「ジュンスカがいたからなんだ。」

(J(S)Wの小林君(左)と宮田君(右)に挟まれながらの一枚)
僕らの上級生だったジュンスカは毎月寮の食堂で、
その月の誕生日の奴らを祝うLIVEをやってくれた。
ジュンスカの面々も恐ろしかったが、
今思うと黙の言う様に楽しかったのかも知れない。
しかし黙は当時から心底楽しんでいたと言うのだ。
まあ俺がショボ過ぎたんだろう。
楽しめなかった自分が悔しい。
俺はただただコワかったからなぁw
僕らは誰もいないジュンスカのステージに何度も足を運んだ。
今思うと青春だった。
誰もいないLamamaでのジュンスカLIVEを抜け出して、
盗んだチャリで真夜中の渋谷を走り回って捕まって
原宿警察署で警察ともめたりした事もあったな。
今思えばあの頃はBOOWYとかXとかと
新宿ロフトで対バンしたりしてたわ、すっげーよマジで。
その流れで黙は今でもジュンスカと深く関わっている。
俺もたまに宮田君にライブ呼ばれたりするけど、
黙は別格に可愛がられている。
何と言っても黙はジュンスカと
切っても切れない縁で結ばれている。
おっとここからの話しは黙が嫌がりそうなので割愛しておこう。
勘のいい人は名前を見て分かると思うけどね。
さて、こいつは世界中を2年間歩いて旅して帰国し、
NHKの番組で職が安定したと思ったらすぐ又、
旅に出てしまった。
一年位かな。
んで帰ったと思ったらまたノルウェイのオスロへ。

(右が黙 ノルウェイのオスロにて)
こいつの旅の体験は彼のBlogで体験する事ができる。
信じられない奇跡の数々がつづられているので、
是非就寝前のヘビロテにして欲しい。
そして現在はジュンスカのドキュメンタリー映画を撮った後、
Jun Sky Walker(S) 〜東日本大地震復興支援ツアー“START”〜に、
カメラマンとして共にツアーをまわっている様だ。
上のリンク内に黙が制作したPR用のムービーがあるんだけど、
かなりいい感じだよね!
黙にしろ聖にしろこうして本名で大活躍してる訳だ。
どんなに会わない時間が長くても遠くにいても、
頑張っていれば名前だけは必ず届くよね。
そんな時やっぱり本名だとみんなを勇気づけるだろうし、
みんなに応援してもらえるだろうし。
俺が奴らを応援し誇りに思う様に
野中博史
俺と仲間である事に、みんなが誇らしくなれる人物になろう
ところで関係無いですが、
僕のDTM機材やサードパーティー製Plug-Inなどに関しては、
僕のホームページ、

ずっと音楽をやる http://gadman.tumblr.com
にて少しずつ紹介して行こうと思います!
どうぞお立ち寄り下さいませ!






